証について・概要
証とは東洋医学独特の考え方で、病の本質を示し、治療の指針とするもののことです。これは西洋医学で言うところの診断名であり、処方箋とも言えます。
別の言い方をするのであれば、証とは東洋医学的な診断法である四診法によって導き出された病の全体像であり、同時にその治療法や手技などに投影(指示)するものでもあります。
証の考え方は実に多様ではありますが、本来的には読んで字のごとく『あかし』であり、証拠や証明といった意味に基づいているものです。
この証に従って治療を進めることを『随証療法』と言い、鍼灸だけでなく湯液の分野でも用いられています。
証は、病の新旧・患者の体質・精神状態・病邪の位置などによって変化します。ですので証は治療経過によっても、しばしば変わることがあります。また、西洋医学では同じ病名でも、東洋医学の場合では人によって違った証がつくこともあります。
鍼灸の証のたて方
鍼灸の証は経絡または臓腑の虚実で表します。これは臓腑経絡の虚実が病気の原因であり、その虚実によって様々な症状が出現し、診断対象となるという考え方に基づいています。
虚実に対しては補瀉の治療を行うことが原則となっていますので、鍼灸の証も治療法と結びついているということになります。
しかし臓腑経絡の虚実だけでは、すぐに治療を施すべき経穴が示される訳ではなく、種々の鍼灸理論における幾つかの法則に基づいて選穴されるのが特徴となっています。
証の決定
東洋医学は診断から導き出した証に基づいて治療を行います。その際の証の決定の仕方についてお話していきます。
証決定の手順
証を決定する時には、証を立てるために必要な四診を同時に行う訳ではなく、次のような手順を取ります。
- 望診・聞診で神気を診る
- 問診で病証を診て証を推定する
- 切診で脈診・腹診・切経をする
- 四診の総合をする
- 証を決定
- 治療
- 結果
- 1〜7をループ
臨床にあたっては、望診と聞診によって神気を診て、生命力や治癒力の状態と鍼灸適応の有無を判断し、同時に異常のある経絡と臓腑(証)を推定しますが、この段階では病のある経絡や臓腑を正確には判断できません。
そこで問診をして、病のある経絡や臓腑を推定します。各経絡や臓腑には病がある時に現れる典型的な病証があり、患者の症状と臓腑経絡の病証を比較して、その相関を見ることによって、かなり推定することができるようになります。
それから切診をしますが、ここで注意が必要となるのが各診断において、前段の診断の推定や情報に惑わされないことです。四診はそれぞれ独立して診て、かつ総合するということが重要となります(先入観を持たない)。
例えば、望診で顔が青っぽいからといって肝ばかり意識してしまうと、問診でも肝に関することばかりを聞いてしまい、脈診でも同様となってしまいます。
問診に際して先入観を持たないという辺りは、西洋医学とあまり変わりありませんね。
本証と標証
本とは根本や本質を意味し、標は枝葉や末節などを意味します。
例えば腎精不足のため腰や膝のだるさが出た場合は、腎精不足が本であり、腰や膝のだるさは標となります。他にも、手太陰肺経が虚して手陽明大腸経が実したために頭痛や発熱が起きた場合は、肺経の虚と大腸経の実が本で、頭痛と発熱が標となります。
ただし標本は、あくまで相対的な概念であり、絶対的なものではありません。
上記の症状でも前者の例でいうと、腎精不足が本であっても、その前提として血虚による血の不足があり、このため腎精を消耗した結果(精血同源)、腰や膝のだるさが発生したという場合には、腎精不足そのものよりも血の不足の方が重要となり、血虚が本になると考えられます。
後者の例だと、肺虚と大腸実の2つを見た場合に、肺経が虚したため大腸経が実したと考えられるのであれば、肺虚が本で大腸実が標となります。
標本の相対性を考える場合は、人体の正気と病因の邪気では、正気を本、邪気を標とします。
同様に病因と病状では病因の邪気を本、病状を標、疾病の先後では先病を本、後病を標とし、臓腑経絡では、臓腑が本、経絡を標とするなどがあります。
標本の相対性の意味は病の本質や末節などの基準としてよりも、治療対象としての重要性の軽重にあるということができます。
早い話が、どちらを治療対象とした方が治りやすいかという意味での相対性であると言えます。これは症状の重要性を診断するだけでなく、治療対象の重要性を示していると言えます。
例として頭痛の場合、足少陽胆経走行上の側頭部に痛みがあり、胆経にも異常がみられる場合には、頭部の胆経の経穴よりも下肢の胆経の要穴を用いた方が治りやすいということが挙げられます。
治療にあたっての原則は、病因を明らかにして、その原因を除去することが基本となります。しかし、症状悪化が顕著であり、苦痛が甚だしく、生命にも影響すると考えられる場合には症状の軽快が先決となります。
標本の関係には次のようなものがあります。
・標本同治
標と本の療法を同時に考慮しながら治療する原則のことで、本を治療するのが大原則ではありつつも、基本的に標も一緒に治療するということを言います。
例えば足少陰腎経と足厥陰肝経が虚して腰痛が起きた場合、本である腎経と肝経の治療を当然行わなければなりませんが、同時に標の腰痛に対する治療も考慮して治療を進めます。
・急則治標、緩則治本(急なれば標を治し、緩なれば本を治す)
症状が急性で激しい時、例えば腰痛が激しくてうつ伏せのまま仰向けにできないような時に、まず標である腰の痛みを軽減させる治療を行い、それから腰痛の主たる原因であり、病の本質である臓腑経絡の虚実の治療をする原則です。症状が急激でない場合には、本を主に治療していきます。
主証と客証
標本と同様の概念として『主』と『客』があります。
主証とは、病の発病からその症状が引き続き変わらないものや証のことを言い、客証とは、その時々で出没する症状や証のことを言います。主は主人の主であり、客は客人の客です。
ですが、重要なのは主の方であって客の方ではありません。何だか少しおかしな関係ですよね。招いたゲストを蔑ろにするようなものです。
主客は例えば、膝の関節痛を起こして、その後に腰痛を起こしたような場合には膝の関節痛が主で、腰痛が客になります。
ストレスや過労・寝不足などで足厥陰肝経の異常が起きたところに、カゼをひいて手太陰肺経の異常を起こしたような場合は、肝経が主証で肺経が客証となります。
このように主客と標本では、その対象としているものの内容に相違があります。標本は病(症状)の本質や治りやすさなどを対象としていますが、主客は病(症状や証)の連続性や相関性に基づいた順序や不変性などを対象としています。
しかし、両者は実際上はほとんど変わらないため、同一に考えていても大きな問題はありませんが、2つの証がある場合には標本では分けずに主証と客証で弁別することになります。
証の総合決定
生体の示す反応というものは、複雑で、しかも変化します。臨床で推定される証が、四診全般に渡って一致するとは限りません。
中には、全てが一致しないということもあり得ます。その事自体は決して矛盾ではないのです。
四診の各診断の段階でそれぞれ推定された証に差異のある場合、各々の段階に重みをつけて判断していくことが重要とされます。
『経絡治療』と言われる診断・治療では、六部定位脈診で得られた証を重視していて、他によほどの矛盾がない限り、その証で決定しています。
その他、長年の経験とそれにより磨かれた直感力で、それぞれの診断の段階に重みを置きます。しかしこれでは、術者によってそれぞれ違う証が決定されるかのように見えてしまいます。
ですがいくつかの実験によると、熟練者の場合は診断方法や重みづけという点では各人に相違はありますが、最終的に決定した証については、あまり差異がないということが明らかとなっています。
なお四診全般に渡って同じ証が得られるような場合には、例え症状が重く見えても著効することが多いとされます。
おつかれさまでした
証のたて方のお話は以上とさせていただきます。
次回は鍼灸で使う道具の紹介を予定しています。
それではまた次回、お会いしましょう!
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